「幼期詩集Ⅱ」より

満月              2019

夜中の小さな路地を折れる。いつもはオレンジ色の門灯がこの路地の先のほうにぼくの黄色い家を浮かび上がらせているのに、今夜は時間が遅すぎた。もうすっかり寝静まって、すっぽりと薄暗がりの路地のグレーに沈んでいるのだ。

門の閉まった小さな庭に入っていって掃き出し窓に掛けたグリーンカーテンの出来具合を確かめようとしてぼくはぎょっとした。奥さんのささやかな楽しみに先月ゴーヤの苗を買ってきて、もう軒下まで伸びていたのが、毎日どこかにセミの抜け殻が取り付く朝、真っ白な花が咲くたびあんなに喜んでいた朝顔が、すっかり何処かへ取りはらわれて、植えた土さえ踏み固められていた。おかげでむき出しになったぼくの仕事場の掃き出し窓がやけに青白く光っていて、振り返って見上げると、空は夏の雨上がり。うろこ雲を透かす七月の満月が降り注いでぼくを溶かしてしまった。

月の光それらしく、なるだけ静かに玄関を入ると、お義母さんに描いた去年の夏の浜辺の風景も、並べて掛けた4号の「路地裏」も何処かにしまわれていて、出迎えたのは朱色の糸の竹の刺繍画と「愛」と書かれた小さな色紙だけ。

4号、6号、10号の小品たちがリズミカルに展示されていた廊下や階段もすっかり何も無くなって、ただ木目の壁があるだけだ。いつもなら、やけに疲れた気分になって、カバンを置きに玄関わきの仕事部屋に、疲れたのだ、だから少し休むのだと口では言わずに、向こうの台所のテレビの声と夕飯の支度を無視して入り、椅子に腰かけて食事などより大事なことがぼくにはあるのだという振りをして徐に、ノートにあれこれ書きつける―じつはだだの日記だ―が、きょうはそのカバンを何処かで忘れて帰って来たようなのだ。

だが、ふとその仕事場を覗いてみると、仕事場が仕事場ではなくなっていて、ソファーと、人形が陳列されたガラスの棚が置かれた何処かでいつか見たような応接になっていた。

慌てて階段を上がっていって、まっすぐ寝室のドアを開けると暗がりに横になった奥さんが蒼白い光にぼんやり浮かんだこじんまりした丸い背中を向けている。うでの中には黒白のハチワレ猫が自分の両足で頭を隠して眠っていたが、一日中これだけの作業をやっていてさぞかし疲れてしまったのだろう、背中はぴくりともしなかった。ただ誰のものかは分からないたっぷりとした寝息だけ。

さっきまでの、何かそわそわとした気持ち―まるで異常事態の発見者にでもなったような、胃を突き上げるような動揺―が、音もなく昇華していった。ぼくは何だか可笑しくなって、ふふんっと鼻で笑ってドアを閉めて、昨日の大作―P80号―の続きをやろうかと、その手で向かいのアトリエの扉を開けた。

しかし、そこには一枚のキャンバスもなくて、散らかしたままだった大量の下絵やノートや山積みの画集もきれいに何処かにしまわれた。それどころか、あの大きなお気に入りの作業台まで運び出したのか―たしか引っ越しして来た時にはベランダから釣り揚げて窓から入れたはずなのだ―代わりに見慣れない小さな勉強机がひとつ置いてあるだけ・・・いや、よく見るとマンガとCDが並べられた小さな棚・・・出窓にはミニチュアドールハウスのキッチン。

あの、ぼくが地震の後の貧困の中で必死に集めた画材も、100号120号の描きかけの絵も、部屋へ溢れる水の中から救い出したシミだらけのロールキャンバスも、痛々しい自画像ばかりの木炭紙も、子供らの食べ物がないのに展覧会に出品して落選した何枚もの絵、一人前の画家を気取って手作りした不安定な画材棚、モデル料を散々使って結局絵にしなかった大量の写真のアルバムも、 泣き笑いも、怒りも、あのやり場ない怒りも、真黒な血を流させた、胸に重傷を負わすあの怒りも、諦め、不眠、憎しみ、底の無い悔恨も、全部がきれいに何処かにしまわれた―いや、そんなもの初めから無かったのだとこの部屋は言っている。

ぼくは月光だ。きょうこそ、ぼくの笑顔で生活の哀しみを忘れさせるのだとあれだけ意気込んでいたぼくも、いまは雲の裏側へ帰る時なのだ。

もういちど、寝室を開けて覗いてみた。闇の中で二つの目が振り返って蒼い光を反射して消えた。

満月が雲に隠れた。